私は、2024年4月のある特別な日に、遺書代わりでもある「とにかくハードルの低い起業&経営」という著書を出版しました。
そして、イマ私が、またブログを始めようと思った理由は、私が経営者として走ってきた道のりを、誤答も、笑顔も、泪も、すべて知ってもらえたらうれしいなと思ったからです。著書では伝え切れなかった部分が多く、形に残したいと考えました。
もしかしたら、このブログは自己満足になるかもしれません。
それでも、もし誰か一人でも、私のお話を聞いて、今の自分を少しでも前に進める勇気を持ってくれたら。それだけで十分、この上ない喜びです。暫く発信する練習をこのブログを使って行わせてください。
人生最初の事業に選んだのは
私が起業して、最初に選んだ道は、人材事業でした。
現在でこそたくさんの企業構築に支えられていますが、始まりはただ一人。
誰もいない。誰にも頼れない。誰も知らない。
そんな地での、まったくのゼロスタートでした。
スタートは本当に「この上なく地味」でした。
どこかの企業から事業を譲り受けたわけでもなく、パートナーがいたわけでもない。
ただ、「人材事業を通して社会の何かを変えたい」という、ただただ漠然で、それでいて前向きな思いだけがありました。
そのたった一つの思いだけを胸に、私は勇気を出して踏み出しました。
営業も、管理も、事務も給与精算も、そして経営も…すべてを、私が一人でやりました。
「その道のプロ」だったわけではありませんし、当然事務的なことなど携わったこともない。
経験も、人脈も、資金力もない。
けれど、「なければ作ればいい」と思っていました。
必要なものは、何だって、なければ自分で賄うしかない。
その日々は、今思えば何も考える暇もなく、毎日流れに追われるように動いていた気がします。
朝5時に起き、夜中3時まで仕事。
寝るのは2時間のみ。そんな生活を2年ほど続けました。
不思議なほど、この期間は自分の体が近いのに遠くて、動いているのにこの上なく静かで、どこか小さな熱を抱えている。言葉にすると、そんな訳のわからない感じでした。
ただ、毎日がガムシャラで、少し立ち止まれば不安に飲み込まれそうな日々が続き、かき消すように働くしか選択肢が無かったことは覚えています。
プライベートで出かけた記憶も、私物を購入した記憶もありません。
ただただ、働いた。
でも、今となってはその経験があって良かったと思っています。
そのお話は後ほど…。
さて、特に覚えているのは、起業して一発目にお伺いした会社さんのこと。
「営業活動」は好きな方だと自負しているのですが、さすがに最初の1件目は「ど緊張」しました。(笑)何事も出だしが大切だと思っているので、一発目に滑ると先が思いやられる…だからこそ、全身全霊、本気で行こうと思って訪問したことを今でもハッキリと覚えています。
結果的に受注を頂くことになりますが、今でもお付き合い頂いておりますし、今でも本気です。
ご担当者の方には、当時「青臭かった」私の話をイジるようにしていただいています。(笑)
最初の受注を頂いた時の歓喜、興奮、魅せるものがなくても、「何かが動き出した」感覚だけは心に残っています。
よく聞かれる起業当時にしんどかったこと
この質問を多く頂くのですが、実はしんどかった記憶は、実はそんなにないんです。
毎日寝不足で、身体はくたくた、給料も出なければ、貯金は恥ずかしながらゼロ。
今思うと、よくやってこれたなと思います。
それでも当時は、ただただ前を向いて進むしかなかった。
なぜこんなに動けたのか。
それは、この業界を変えたい、変えられるはずだ、という「信念」だったのかもしれません。
初志貫徹
この言葉の通り、今でも初心を忘れたことはありません。
小さな一歩ずつですが、確かに前に進んでいる(這いつくばっているという表現が正しい?)実感もあります。
もし起業をしたいと誰かが思っているなら
この記事を読んでいる誰かが、今、気持ちの一歩を踏み出そうとしているのだとしたら。
「大丈夫です。怖いとか、不安だとか、そういうネガティブな感情は自然です。隠す必要もありません。
でも、歩いてみなきゃ、その光も覚悟も、ずっと遠いままです。まずは、小さな一歩を少しずつ踏み出していきましょう」
そんな言葉を、当時の自分にも言ってあげたいと思っています。
誰かの1歩目の支えとなりますように…。
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