自己紹介:経営者としての原点

社長ブログ

はじめに|なぜ今、私が発信を始めるのか

私は、2024年4月のある特別な日に、遺書代わりでもある「とにかくハードルの低い起業&経営」という著書を出版しました。

そして、イマ私が、またブログを始めようと思った理由は、私が経営者として走ってきた道のりを、誤答も、笑顔も、泪も、すべて知ってもらえたらうれしいなと思ったからです。著書では伝え切れなかった部分が多く、形に残したいと考えました。

もしかしたら、このブログは自己満足になるかもしれません。

それでも、もし誰か一人でも、私のお話を聞いて、今の自分を少しでも前に進める勇気を持ってくれたら。それだけで十分、この上ない喜びです。暫く発信する練習をこのブログを使って行わせてください。

私が経営者を志したきっかけ

小さいころから、私の周りにあったのは野球ばかりでした。
小学校、中学校、高校、大学。
ずっと…野球のことだけを考えていました。

社会も人間関係も、遠い世界のように感じていた私が、流れにのって入社した先は、悲しいほどに麻痺した現実。今でいう、いわゆるブラック企業というやつでした。

日々疲れ切った顔。
かつての友人たちが、世間で活躍する姿を見て「私は何をやっているんだろう…」と自問することしかできなかったあの日々。

退職しても、転職の仕方も分からず、ただ流されるままに時を過ごした。
今思うと、「時間の無駄遣い」とはあの時のことを指すのだろうと思います。
私はその会社を10ヶ月で、サヨナラしました。

しかし、問題はそこからです。
社会のこと何も知らない無知な私は、転職の仕方がわかりませんでした。
恥ずかしながら、「ハローワーク」の存在なんて、知らない。「離職届」なんて知らない。「リクルート」がどんな会社なのかも知らない。そんな大無知野郎です。

でも、この思いが一つのきっかけになります。

「もしかしたら、私と同じように転職に躓いている人がいるのではないか…」

そう思い、次の転職先に選んだのが「転職・人材派遣」という業界でした。

私は人材業界という世界に出会い、働く意味を実感し始めた。
多くの企業や、人と出会い、初めて得る充実感。私にとっては、天職なのではないかと思っていました。

しかし、また止まります。

「このままでいいのだろうか…」と。

2年ほど続けましたが、会社の方針などについていけず…
更には、残業、休出当たり前。毎日寝るのは朝の3時。
完全に糸が切れた瞬間を今でも覚えています。

退職をして、地元に帰る決断をしかけた私でした。
しかし、「変わりたい」という深い願いに押されて、もう一度知らない地で、一人、挑戦することを決めました。

この時、判断が良かったと思えることは、「人生の分岐点」をしっかり感じられたことです。
大好きな地元で、大好きな仲間や家族と過ごす…
しかし、それを選択したら、「また」何も変われない気がしていました。
なので、敢えて大好きな人たちから「物理的な」距離を取ることを選択したのです。

起業を決意した日

私は「何者でもない自分」を本当に変えたかった。「何者か」になりたかった。
そう強く願っていた日々が続きました。そして私が選んだ道が…

起業。
それは無知な私にとって、計り知れない大きな決断だったけれど、その時の私には、もうそれしか残されていなかったと感じ取っていました。

何も知らない。
経営も、登記も、給与計算も。なんせ転職前まで、ハローワークさえ知らなかった男ですから。

けれど、一歩、一歩です。
インターネットや図書館で調べ、人に聞きまくり、何度も何度も壁にぶち当たりながら、挑戦し続けた。

経営者人生として、今年13期の年を迎えた今。
思い描いた理想の経営者にはなれていません。でも、なりたいという意志は更に強く思っています。

今、私が伝えたいこと

私から、大した情報はご紹介できないかもしれない。
けれど、これだけは言えます。

「転機は必ずやってくる。その時を、どんなに怖くても、見逃さないで。あなたはやれます。」

私は今も、夢を追っています。これを読んでくださっている皆様と一緒に、前へ進んでいけることを、心から願って。

このブログの最後に…
私は、弱い。すぐ逃げだそうとする。

なので、逃げないために、著書の出版や、ブログに綴ることを決めたんです。
暫くの間、少しだけお付き合いください。

ブログを通して、「あいつはこんな奴なんだ」「次はどんなことに挑戦するんだ」など、少しでも知って頂けたら嬉しいです。

読んでくださり、ありがとうございます。
継続は力なり!頑張って発信していきます!

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